2014年07月25日
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下高井戸と熊谷はどこでどう関係するのか

Written By: 川俣 晶連絡先

「高崎線を熊谷まで行った時には、乗り過ごすわけには行かないから途中駅の名前を全部チェックして自分が今どこあたりにいるのか分かるようにしたのだ」

「それで?」

「熊谷の1つ手前は行田」

「それに何が意味があったの?」

「帰ってきてからAlice堂のWEBLOGさんが行田を連続で話題にしていたことが分かった」

「つまりなんだい?」

「星渓園を楽しんだ熊谷だったが、近くに面白いものがいくらでもありそうだ。そもそも熊谷はかなりの都会。マクドも日高も吉野家もあるような都会。でも屋敷神もあって歴史の古さを感じさせる」

「それはどういう意味だい?」

「高崎線だと思うから分かりにくいが熊谷も行田も中山道沿いなんだよ」

「昔から開けていたってことだね」

「そうだ。それに荒川の水を合わせれば昔から繁栄していたことは十分に分かる」

「それにどんな意味があるんだい?」

「だからさ。甲州街道とは中山道の別ルートなんだよ。甲州街道と中山道は途中で合流しちゃう。一体で考えても良い存在」

「まさか。電車賃1000円では行けないぐらい遠いのに?」

「そうさ。下高井戸も熊谷も宿場町であって、似たような存在だったのだよ。まあ、下高井戸は規模で負けちゃうけどな」

そして分かったこと §

「ああ、そうか。熊谷の駅に、古いスタイルの鳥瞰図があるのは、もともとそういうスタイルの鳥瞰図が残る宿場町だってことか」

「へー」

「ついでに、熊谷宿を調べていたら愕然とする記述が」

八木橋百貨店前に中山道の石碑、石原には秩父道しるべなど、多くの石碑やその当時の歴史を伝える物が残っている。

「八木橋に行ったのに、それは気づかなかったよ!」

「惜しいことをしたね」

なお、八木橋は現在の建物を旧中山道を遮断する形で建設した。このため、八木橋1階には、旧中山道の位置に幅を広めに取った店内通路が設置されている、それぞれの端には出入口も設置されている為、営業時間内であれば、迂回せずに旧中山道を辿る事が可能である。

「ここは通ったかも知れない」

「へー」

「わざわざ片方の入口から入って、同じ場所から出そうになったので向きを変えて出るときは別の口から出たからね」

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